渡る世間は…… ~ケヴィン・ウィリアムソン「鬼教師ミセス・ティングル」 (1999年)
2007-03-01 17:00:00
最近あんまり見かけなくないですか、「鬼」。
いや、とはいっても、昔は道端でよく出くわしたとか、そういうんじゃないですけど。
軍隊に入れば鬼軍曹が、スポーツをすれば鬼コーチが、
TVをつければ鬼束ちひろが。
日常のあらゆるシーンに「鬼」が欠かせなかった気がします。
そんなわけで、今回は、もはや絶滅寸前の希少種、
「鬼教師」の映画です。
舞台はとある高校。
主人公は、奨学金をゲットして進学を狙う乙女、リー・アン。
そのためには、歴史の課題でAをとることが必須の条件。
ところが歴史を担当しているのは、
きびしいことで有名な鬼教師、ティングル先生。
これは絶望的。
なんとか思い直してもらおうと、リー・アンが
女優志望の親友のジョー・リンと相談していると、
現れたのが落ちこぼれのルーク君。
彼が手に持っていたのは、なんと盗み出した歴史の試験問題!
そこをタイミング悪く、ティングル先生に見つかってしまいます。
誤解です、単位を下さい、先生!
と、3人は先生の家まで直訴しに行きます。
ところがさすがは鬼教師、取り付く島もない。
するとこの3人、こともあろうに、先生をベッドに縛りつけ、
監禁してしまいました。
こうして見ると、どっちが鬼だか分かりゃしませんが、
そこは百戦錬磨のティングル先生。
身動きとれずとも、お口は達者。
ジョー・リンがルークに惚れているのを見抜くと、
リー・アンとルークの仲をほのめかして仲間割れを画策。
巧みな話術で、ジョー・リンを味方につけようとします。
ティングル先生が縛られているのをほどいて脱出、
なんてお決まりのシーンもきちんと用意されていて、
で、まあ、先生と生徒のこの「鬼ごっこ」、
どっちが勝つかはぜひ実際にご確認ください。
ところで、この作品の見どころは、まさにそのユルコワ具合にあります。
監督のウィリアムソンさんは、
「ラストサマー」「スクリーム」などで、青春+ホラーという
ジャンルを築いた脚本家。
本作もその延長線上。
3人の生徒たちの恋愛模様と、
ティングル先生監禁事件(バリバリ犯罪ですよね)、
いったいどっちが大事なのよ?
とツッコミを入れたくなるムードで話は進んでいきます。
マジメに見てると腹が立つかもしれませんから、
巨大なポップコーンとコカコーラでも用意して、
気分はアメリカのハイスクール!
Yeah!
Wow!
って感じでご鑑賞なさるのが正しいかと。
ヤボなことは言いっこなしってことで、ひとつ、よろしく。
Category : プチコワ!カップル向けとりかえしのつかないことについて ~ジャン=リュック・ゴダール&ジャン=ピエール・ゴラン「万事快調」(1972年)
2006-12-23 17:00:00アメリカの厄落とし ~ポール・グリーングラス「ユナイテッド93」(2006年)
2006-11-29 17:00:00
怖い映画というよりも、「怖い目にあったひとたちの映画」です。
え、同じじゃないの、とお思いでしょうが、
まあおいおいお話しするとして。
このタイトルは、飛行機の便名。
ユナイテッド航空の93便のことです。
この便、2001年9月11日のアメリカの同時多発テロで
乗っ取られたうちのひとつ。
そのなかで、ただ1機だけ目標に到達しなかったこの便を
めぐる状況を描いたのが、この映画。
乗客、操縦士、スチュワーデス、テロリストに始まって、
地上の整備員、管制官などなど、人物はたくさん出てきます。
しかし、主人公はおらず、役者さんたちは見知らぬ顔ばかり。
そのため、あたかもその場にいるような臨場感が持続します。
飛行機が乗っ取られ、どうやら無事には戻れなさそうだと悟ってからの、
乗客たちの行動がリアル。
いえ、証人はいないのですが、少なくともリアルに見えます。
パニック状態になって泣きわめくひとたち。
座席の電話や携帯から家族に最後の別れを告げるひとたち。
スチュワーデスからフォークや消火器を借りてテロリストに立ち向かう男たち。
とはいうものの、これ、映画です。
阿鼻叫喚、てんやわんやから一歩引けば、
カメラがあり、照明があり、監督が椅子に座っているはず。
お昼になれば、さっきまで取っ組み合いをしていた操縦士とテロリストが、
「いてえなあ、本気で殴るなよ、ジョージ!」
「HaHaHa、かんべんかんべん、マイコー!」
などと談笑しながらサンドウィッチをパクついているかも。
不謹慎ですか?
では、こうした映画に、不謹慎でない作り方などあるのでしょうか。
同機は、目標のホワイトハウスをそれて、ペンシルヴェニア州の野原に墜落。
乗員乗客は全員死亡したのです。
この映画では、乗客たちの必死の努力でテロを防いだように
描かれていますが、実際は藪の中。
誰も分からないはずのことを、ドキュメンタリー風に仕立てて、
真実に見せかけ、乗客たちを英雄視する。
つまりこれは、アメリカにとって厄落としのような映画なのでしょう。
「乗員乗客は、怖い目にあったんだよ」
―もちろんです。身の毛がよだちます。テロはいけません。
「だから、こう脚色するのが供養なのだ」
―ふぅむ、そうですかね?
実行犯たちはどれくらい、そしてどのように恐怖を覚えたのでしょうか。
この映画からは、残念ながら、よく分からないのです。
アメリカ映画は今後もさまざまなやり方で、
この事件を怖がり続けることでしょう。
できることなら、その恐怖を体験しなかったわたしたちをも
怖がらせてくれるような映画が見たいものです。
コアラの国の神隠し ~ピーター・ウィアー「ピクニックatハンギング・ロック」(1975年)
2006-11-23 17:00:00
よく、「得体の知れない恐怖」などといいます。
しかし、考えてみると。
得体が知れないから怖いのではないか。
得体が知れてしまえば、それは対して怖くないのではないか。
とも思うわけです。
暗い夜道もそうですよね。
次の曲がり角で何が出てくるか、それが予測できないから、
怖い。
たとえば、
「次の角を曲がると、塗り壁が立ちはだかっているぞ」
と予告されていれば、実物を見たときの恐怖は半減する。
……はずなんですけどね。
ということで、今回はオーストラリア映画のご紹介。
「ピクニックatハンギング・ロック」です。
いわゆる、カルト映画の基本、的な位置づけでしょうか。
けっこう独自のコワさを持っている作品です。
ストーリーはわりと単純。
1900年の2月14日、女学校の生徒たちが先生の引率で
変わった形の岩山(鬼押し出しみたいな感じでしょうか)に
ピクニックに行き、そこで、3人の生徒とひとりの先生が
行方不明になる、というもの。
何が怖いって、何が起こったのかがまったく分からないところ。
少女たちを探しにいった若者はぶるぶる震えて茫然自失の状態で
戻ってきますが、何を見たのか、何も見なかったのか、
証言はありません。
行方不明になった少女のひとりは、後日、ぐったりした状態で
発見されるものの、こちらも記憶が完全に飛んでしまっている様子。
こんな調子で、真相は不明のまま、行方不明の少女たちは戻らぬまま、
終ってしまいます。
ホラーというとおどろおどろしい音楽や薄暗い画面が
つきものですが、この映画はちょっと違う。
オーストラリアのさんさんと降り注ぐ太陽の下、
ヴィクトリア風の衣装(ややアキバのメイドさんたちのようでもあります)の少女たちが不意に消えうせるありさまを、
淡々と描いている。
ただそれだけの映画なのです。
ただそれだけ。
何の理由もなく。
説明もなし。
これほどコワいことも、そうそうない気がするのでした。
1
footer ads here Powered by ちびログ
footer ads here


